日本民法への示唆

強い示唆を受けました。

カール・リーゼンフーバー/渡辺達徳(訳)「不履行による損害賠償と過失原理」ジュリスト1358号141頁以下。

その中からの引用。

149頁以下より。
「専門家の中には、不履行における厳格責任に向けた国際的潮流を認めている者もある。すなわち、『現代の法発展において、過失原理は後退している』と。しかし、果たしてそうだろうか。確かに、ランドー原則、DCFR、ユニドロワ原則およびCISGは、いずれも厳格責任に従うようにみえる。しかし、これら法原則の中で、CISGは、限られた重要性を持つにすぎない。すなわち、CISGは、1つの取引局面のための契約類型である国際商事売買を規律するにとどまる。しかし、さらに重要なのは、過失の退潮が見出されるのは形式的な分析をするに場合にとどまり、機能的分析によれば、実質的な過失要素についてもっと異なった構図が描かれることである。われわれの比較考察によれば、厳格責任アプローチに従う法制度は、責任を限定すべき他の手段を採用していることが示される。実際に、われわれは、過失が玄関から入るのを拒絶されても、裏口から忍び入ることを繰り返し観察している。他方において、多くの法体系-とりわけヨーロッパ大陸のそれ-は、依然として過失を原則と考えているのであって、そこには特にオランダ民法典が含まれている(この法典は、最も近代的に成熟した民法典と評価されることがしばしばである)。そして、ドイツ民法典は協働的アプローチに従いつつ、最近の債務法現代化において、説得力を込めて過失原理の存在を改めて明らかにしたのである。
 かくして、過失原理は、1つの原理として絶対的なかたちで君臨するものでなく、他の責任原理と均衡を保ちつつ力を発揮するものではあるが、活力を持ち、正当なものであると考えられる。厳格責任と過失責任は、単に異なる出発点を持つにすぎず、修正ないしは多くの例外の余地を残す分析が成り立つ原則であることが判明する。したがって、多くの専門家が、実務上の帰結はしばしば同一に帰すると考えているとしても、決して驚くにあたらない。以上のとおり、理論的概念としては相対立するにもかかわらず、過失原理も損害担保原理も、厳格に、そして例外を認めずに適用するのでない以上、この2つの体系は、収斂する傾向にある
※イタリックは原文のまま。強調、下線はESP。

過失責任主義と厳格責任主義が相対立しているように考えられ、債務不履行責任について「過失責任主義から厳格責任へ」に向かうのが時代の流れとも考えられています。しかし、リーゼンフーバー報告を読むと、両者が本当に対立しているものなのか、また、過失責任主義は本当に時代遅れのものなのか、ということを再考させられます。
リーゼンフーバー報告は、日本民法における債権法分野の改正作業において、大きな影響を与える、ないしは与えるべき主張だと考えます。

今後注目されるのは、過失責任主義と厳格責任主義は、「収斂する傾向」でとどまるのか、それとも、本当に「収斂してしまう」のか、だと考えます。もしも、「収斂してしまう」のであれば、両者の対立は、単なる説明の違いで終わり、実務上は何の意味もなくなってしまうからです。

なお、原文はERCL誌(European Review of Contract Law)に掲載予定とのことです。私は英語が得意ではありませんが、時間がかかっても、原文にチャレンジしたいと思います。

by espans | 2008-06-17 11:32 


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